2024年能登半島地震

OUR MISSION

あれから半年。

2024年1月1日、最大震度7を記録する地震が発生。
「令和6年能登半島地震」と名付けられた揺れにより、火災、津波、土砂崩れなども発生、多くの家屋が被害を受けました。
半島という地理性や高齢者が多い地域性に、上下水道・電気・通信・道路の被害が重なり、命をつなぐための支援が大きな課題に。
倒壊家屋が多く、一度更地にしないと再建できない地区も存在します。たくさんの方が犠牲になっただけでなく、倒壊や火災や地盤隆起により生業も喪失しました。ライフライン不通によって多くの人が二次避難したことで、コミュニティの分裂も発生しています。 被害の大きさ・被害の特殊性・復旧復興の難しさ、どれをとっても日本の歴史に残る災害になるのでは、と感じています。

ボランティアでできることは本当にわずかですが、 この先失われるものを減らすため、 ここから復旧に向かう人たちの気持ちを支えるために活動しています。

assignment

復旧の困難さ

お正月の夕方に発生した地震という点だけでも、 緊急期の支援を難しくさせました。 半島のためそもそも陸路が存在せず、被害が大きな地域にこそ 支援が届けられない状況が生まれました。 加えて既存主要道路の大きな損傷により、 食事などの支援物資も届きにくかった。 災害復旧の関係車両の増加で渋滞が生まれ、 物流の悪循環が発生しました。 メディアや政府関係者でも、被災地入りをためらった。

半年が経過しようとしていても、まだ水道復旧が難しい地区がいくつもあります。 いつになったら戻るのか?という不安に加えて、落ち着いたころにやってくる余震。 もともと群発地震に見舞われていた地域で、どう生活再建を考えるのか。 二次避難した高齢者たちは地域に戻ってこられるのか。 課題が山積みのなかで進む復旧は、今までにない対応が求められています。

WHY?

なぜ、広域支援なのか

災害後すぐに能登半島各地の被害をみて、熊本地震をこえる規模だと実感しました。珠洲・輪島・能登・穴水の奥能登エリアの被害が甚大ですが、そうした所こそ物流が難しい状況でした。広い範囲で必要な支援を進めていくには、奥能登より手前のエリアに拠点が必要。七尾市のご厚意でお借りした廃校は、奥能登の玄関口に位置します。電気復旧が早かったこと、地震後すぐ大手宅配業者さんの配達も再開したことで、物と人が集まるハブとして拠点運営を始めました。

集まった物資も人も、占有するつもりはありません。今回は被害範囲が広く甚大ですが、現地で活動できる支援団体の数はわずかで、対応できることも限られています。複数の団体と協力して、広い範囲で支援を組み立てる方がたくさんの人材を活かせます。一つの団体で一つの地域を支援するのではなく、仲間の団体や支援者と拠点や活動をシェアできるようにしました。

Our Supports

広域支援ベースの5つの柱

ベース班

体育館を活用して、物資の一時受け入れ機能をつくりました。5月末までの受け入れは約70トン。奥能登エリアなど各地へ届けるために、企業や支援団体からの物資を預かっています。同時に、地域の方へお風呂トイレ洗濯機を解放。物資配布エリアと合わせて、拠点近くの方の生活サポートの場となりました。 支援者の活動拠点としても機能させ、体育館や小学校を活用した拠点では、5月末までに延べ5,389名を受け入れました。人と物を集めるハブとして活用しています。

物流班

水・食料・携帯トイレ・日用品などベースで預かった物資を、現地のニーズに合わせて各地に届けています。現地の活動で出会った支援の必要のある方や、避難所や福祉施設へ、定期的に必要な物資を配達。断水や設備損傷でお風呂が使えない福祉施設などには、入浴車と給水車でお湯を届けました。2024年6月末現在、まだ水や電気が整っていない地域もあるため、そうした場所へのお届けを続けています。

炊き出しサロン班

各地での断水が長期化し、偏った食事しかとれていない状況が各地でありました。現地の状況を聞き取りながら、まずは栄養がとれる食事の炊き出しを各地で実施。広域支援ベースとして提供することもあれば、地元の炊き出しを担当する方の負担軽減のためにサポートする時もありました。食事提供の緊急的なニーズが下がってくると、炊き出し→サロンに少しずつ移行。ホッと一息ついてもらうためのお茶会などに切り替えて、心の栄養を補える場所を提供しています。

ガテン班

倒壊した家屋からお位牌の救出、崩れた納屋から車の救出、ブロック塀崩しや家財の移動など、災害ボランティアセンターでは難しい案件の対応をしています。地震直後は、道路上に崩れた家屋の撤去や損傷部分の応急処置で、生活道路を使えるようにする道路啓開なども実施。土木の知識や経験がある人や過去の被災地で実践を重ねた人、大工や消防士など、危険のある現場でも安全に活動できる人を主軸として活動しています。

ものづくり班

拠点にお風呂をつくったり、納屋に住みはじめたおばあちゃんに新しいベッドをつくったり、解体する家の木材を取ってきて表札にしたり、ものづくりでできることがたくさんあります。仮の生活で必要な物や、今までの思い出を守るため、その人らしい生活を支えるために、大工チームを中心にお手伝いをしています。

広域支援ベースは、能登半島へ支援拠点として、 団体の垣根をこえてたくさんの人に活用してもらえたらいいなと思って運営しています。 被災地で何が必要か?何ができるか?を考えながら実行に移しています。被災地は生き物で、時間の経過とともに、困りごとも必要な支援も変わっていきます。能登で出会った人たちや地域をどうサポートしていけるのか?常に考えながら、現地と対話を重ねながら、その時の最善を積み重ねています。